横浜市歌ブルースバージョン誕生秘話/中村裕介・ROCKオヤジ・横浜市歌・ROXVOX

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横浜市歌ブルースバージョン
作詞 森鴎外
作曲 中村裕介

わが日の本は島国よ
朝日かがよう海に
連なりそばだつ島々なれば
あらゆる国より舟こそ通え
されば港の数多かれど
この横浜に勝るあらめや

昔思えばとまやの煙
ちらりほらりと立てりしところ
今は百船百千舟
泊まるところぞ見よや

果てなく栄えてゆくらん御代を
飾る宝も入り来る港
されば港の数多かれど
この横浜に勝るあらめや
勝るあらめや・・・

この横濱にまさるあらめや
横浜は1859年の開港から150年。文豪・森鴎外が、まさに横浜の港から世界へと発展して行く日本を高らかに歌い上げる「横浜市歌」を作詞してからちょうど100年になる。
今私たちは100年に一度といわれる経済危機、世界恐慌へとつながりかねない激流にさらされている。だが考えてみよう、横浜は1923年の関東大震災、1929年からの世界大恐慌、やがて世界大戦、1945年には米軍による大空襲を受け、中心市街の大半が破壊された。わずか20年余の間に横浜は二度の壊滅を体験したのである。にもかかわらず人々は瓦礫の中から立ち上がり、食べるものさえなかった激動の時代を逞しく生き抜き、次の時代を担うべき子供たちを育てた。その人々とは、まさしく私たちの親や祖父母の世代である。しかし、私たちを含むそれ以降の世代は、経済発展と引き換えに「心を通わせること」さえ置き去りにして来たように思える・・こんな時代だからこそ、私たちは彼らが生き抜いたあの激動の時代に思いを馳せ、学び、この横浜に生まれたことを誇りにしたい!
ヨコハマ・ブルース・ワークショップよりLinkIcon

お聴きになれます→横浜市歌〜ブルースバージョン:mp3

2009年は横浜市歌誕生100年・・
2002年初夏、ある日自分のスタジオで森鴎外の書いた「横浜市歌」の歌詞をじっと眺めていました。
・・・あれ?ひょっとしてこれ、ブルースになるんじゃないか?
ギターを取り出し、最初のコードを弾いてみる・・そうひらめいた瞬間から新しいメロディが自分の中から流れ出し、ほんの30分ほどで書き上げました。それが「横浜市歌ブルースバージョン」なんです。

2003年のことでしょうか、元町商店街主催のストリート・ライブの折、初めて横浜市歌のブルースバージョンを演奏しました。
そのとき私たちの周りには、ご高齢の方々の人垣が出来ました。みなさんこれまで永いこと横浜市歌に親しんで来られたであろう方々です。
演奏が終わったとき、その中から上品そうなご婦人が私に近寄り、
尋ねられました。
「あのう・・今演奏された曲、横浜市歌ですよね?」
なにしろ100年の歴史ある横浜市歌をブルースにしたのですから
こっちはお叱りをうけるのでは?とドキドキもので
「ど、どうでしたか?」
「いま演奏してくださった曲の方が覚えやすくて好きですわ」
ご婦人のこの言葉に力をいただいて、
ずっと横浜市歌ブルースバージョン歌ってます!